後悔先に立たず [胃がん>終末医療]
後悔は先に立たない。
だから、終末医療で患者を支える家族は、疲れで気持ちが荒みそうになったら、少し休んでほしいと思います。
父が亡くなってから、ずっと後悔、、、というか何かほんのちょっとしたことだけど心の片隅にしこりの様に残っているものがあります。
小さいけど、とげの様にすごく気になるんです。
様態が急変する2週間ほど前から、父はほぼ寝たきりだった状態から突然ベットに体を起こして、立ち上がろうとするようなことを頻繁に始めた。
最初はちょっとベットの端に足を下ろすくらい。
それが徐々に肩を借りたりして立ち上がろうとし始めた。
たぶん、3.11の地震で避難するには自力で少しは歩けないといけない、という焦りでもあったんじゃないかと今は思う。というのも、少し前に「避難する時はどうするの?逃げる時は一緒にお願いね」って私に言ったからだ。生きなきゃ、生きたいって思ってたんだろうな。
父が立ち上がろうとしようと始めてからは、正直きつかった。
見ていないと、ベットから落ちたり、転んでしまったりしては大変だから。
まず、母と二人掛かりでも細くなったとはいえ、父の体をベットに戻すことは大変であるし、何より怖かったのは首につながったIVHカテーテルの管が抜けてしまうこと。
そんなこんなで、父が目覚めるときには必ず見守っていなければいけないプレッシャーと、頻繁に起き上がろうとする父の介抱が時には30分おき。
朝も昼も夜もなく、夜中は母との交代で一人で見る時はより眠っちゃいけないプレッシャーなどでしんどかった。
そんな状態は、容態が急変する二日前まで2週間ちょっと続いた。
それで、私は疲れとストレスで、イライラしていた。
で、金曜日の夜、辛く当ってしまった。
それに、立ち上がろうとする父をお腹を理由にダメと説得した。
その時の父の顔は何とも悲しそうだった。。
次の日は兄が来るので土曜日、昼ごろに帰り家で冷静になった時、
父の病状はよくなることはない。
で、あればやろうとすることを駄目というのではなくて、出来る限りのことをしてあげるべき。
と、考えを改め、来週からは気持ちがイラつかないように、立ち上がろうとする時は肩を貸してあげようと思っていた。
そうしたら、その日の夜、兄から容態が変わってきたと連絡があった。
それから、4日後の19日朝に亡くなった。
緩和ケアを受け始めてからは、いつ何が起きてもおかしくはない。
だから、その時その時を大切にその人との時間に思いを込めて付き添ってあげてほしいです。
実際、その時にならなければ分からないものかもしれない。本当の最後の時期は短くても、すごく負担が増えると思います。
でも、後悔を残さないように、私みたいにならないように、気持ちを穏やかに共に過ごせるようにしていてもらいたいです。
ベランダで遊んでます。
ごろんっ♪
スノコの下にっ
飽きちゃった。
老体にはこの暑さはきついのよ。ぐてぇ~
久しぶりの消す気の時間です。今日の収穫は一束。ちょっともの足りず…
なんでしょうか?
暑いのね…暫くも持ちぐらはお休みだね。
きれいに撮ってよ
トマトはだいぶ大きくなりました♪もっともっと大きくなあれっ♪
最近、よく夢をみる [胃がん>終末医療]
最近よく父の夢を見る。
父の癌を治そうと奮闘する内容。
でも、今日はいたずら好きだった父がいたずらをしてくるのに、ちょっといらっとした私が「もうっ!」と言ってた。
→「もうっ!」と夢で言ったと思ってたのに、寝言でも言っていたようで旦那さんが横で一瞬起きてた(笑)
このひと月くらい良く見る。
がんを治そうとする夢を見るのは、やっぱりいくつか後悔があるからかな。
昨年末の再入院の際に、在宅の緩和ケアの手配・準備をしたのは私。
それを最初に父に伝えた時、覚悟はしていたと思うけど、やっぱり少し驚いてた。
痛いのになかなか、使おうとしない痛み止めをちゃんと使うように言ったこと。
亡くなった後に、残っていたメモに
「麻薬を利用しうつらうつらして痛みをやり過ごしていることに大きな危険を感じる。
中心がどこなのかわからない
人間としてのアヤウサを思う」
「痛みと対峙している私と言う事象。私が消失してしまう」
とあった。痛みでイライラしていた父も、痛みで制御できない自分と麻酔の怖さに戸惑っていたのに、それを分かってあげられなかった。
でも、必要なことではあったのは確か。
すべて父の要望通りとはいかなかっただろうけど、後悔もあるけど、一緒に最期を過ごせたことは本当に良かったなぁ。
今日の夢は、病気になる前の父との楽しい!?日常だった。
もう後悔はいいよって、言ってくれてるって思おう。
君たちがいたことは、お父さんも私たちも気持ちが和らいだよ♪
ありがとうね。
みおくり [胃がん>終末医療]
17日から容態が変わり始め、19日の朝9時少し前に家族で送った。
それから、なんだかやることも多く、やるべく考えないようにしていたこともあるけど慌ただしかった。
まだまだ、やる事はてんこ盛り。
気持ちに整理がついたのかと言えば、まだまだ難しいかな。
写真を見ると、そこで笑っているかのようだし。。。
まだ、書き連ねるには目が滲んで書きすすめられない。
ただ、父に起きたこの病の本当の怖さは遺さないといけない、と思っている。
もう少し、したらしっかりと残そうと思います。
家族で看取ることが出来たこと。
それだけは、本当に良かった。そしてそれをさせてくれた父に感謝。
ゆっくり休んでください。
2011-04-07 [胃がん>終末医療]
土曜日にエアマットに変えてから、床ずれは治った感じ。
もともと、ごくごく初期段階な擦りキズっぽいのと、鼻骨に近い背骨に沿ってすこし赤みがあった程度だったけど。
けど、エアマットは人によって好き嫌いがあるそうで、父は嫌いなご様子。
完全な寝たきりというわけではなく、背中を起こしたりはする父には、安定感のないエアマットは不都合のよう。
空気の入れ具合を硬めにしたりして、今は我慢してもらってるけど、「お前もこれ(エアマット)に賛成なの?」と遠回し気味に嫌いなんですけどとご意見をたまわった。
けど、床ずれが悪化したりして入れなおしとなると、それはそれでひと騒動。
なので、ちょっと他のこともあったので、しばらく様子見。
別の騒動といえば、一昨日にモルヒネを刺している胸の針から液がこぼれていて、痛み止めが効かずに夜中の12時頃に先生を呼んだ。
モルヒネの針は胸とか腕でもいいらしいのだけど、皮膚の下あたりに刺して毛細血管からとりこむ方法が一般的なのかな。
けれどこれだと、動いていたりしていて針が折れたり、炎症をおこしてなのか皮膚が硬くなったりして針の隙間から洩れてしまったりすることもある。
父の場合、何度か上記のようなこともあり、今回は立ち上がることもなさそうなので輸液(IVH)と同じ中心静脈カテーテルから取り込むことになった。
※いままでこうしなかった理由は、Rescue(モルヒネの追加投与)にタイムラグが発生するため。
そんな騒動の翌日、モルヒネがよく効いて寝ているのかと思ったら、38度の熱。
腫瘍からの熱だろうと言うのは、以前の経験から想像できたので、クーリング(動脈などが通る脇などをアイスノンなどで冷やす)、水枕、解熱作用のあるボルタレンで対応。
暫くして、血圧を測ってびっくり。
さっきは上が100前後あった血圧が、上が80に。
以前、血圧の上下が50を切るのはあまり良くないと聞いていたし、血圧が急に下がる時は何かあるかもしれないと聞いていたので急いで看護婦さんに連絡。
そうしたら、ボルタレンには解熱作用もあるけど、血圧も多少下げてしまう作用もあるとのこと。
夜に計りなおしたら、90代に戻ってきたので少し安心。
でも、以前の時はそんなことはなかったので、少し予感。
翌日の今日、先生がいらして看護師さんから前日の事を聞いていたようで、色々と調べてくれ、解熱剤もボルタレンではないものを処方してくれた。
先生は容態が変わりつつあるようなので、一週間後ではなく月曜日に来てくれることになった。
今も熱はあるけど、落ち着いている。
受け止めていたと思っていたけど、いざとなると、やっぱり動揺してた。
孫の顔、やっぱり見てもらいたい。
新しい痛み [胃がん>終末医療]
寝たきりの辛さ [胃がん>終末医療]
久々の散歩
タンポポ(多分、日本タンポポ)
ほぼ、首だけ~って感じだけど、鮮やかな黄色に目を奪われました♪
トウダイグサ
花じゃないけど、この鮮やかな黄緑色が好き♪
ツグミ
近づいてもなかなか逃げないでくれたので、パシャッ。
先週から父の熱も落ち着いた。
感染症も考えられたので、抗生物質の注射も行われたが、もうひとつは腫瘍熱というものもあるらしかった。
一週間の寝たきりはやっぱり、体力をなくしていたところへの追い討ちだったようで、今でもほぼ寝たきり。
ただ、今までのように立ってトイレに行くなどは出来ないが、ベットに起き上がるなどは出来るので、今のところ床ずれはない。
なってしまう要素は大きく3つ、不衛生、栄養不足、血流の妨げ。
そして、床ずれというのは、出来るときは本当に一日で出来てしまうものらしい。また、一度出来てしまうと直すのは、難しく、ひどくなっていくと骨まで見えてしまうということで、本当に怖い。
気をつけてあげないと。
寝たきり介護の一番の負担は下の介助。
父の場合は、ほぼ食べないのでお小水が9割以上。
お小水は今のところ、2,3時間に一度の割合で出るので、私たちは、夜中3時に交代で介助。
最初の週に比べて、大分慣れてきた。
あとは、食べなくても腸を動かして、ガスや腸液などのほか、父の場合は胃の腫瘍部からの出血したものが、便として出てくる。
これは、家族も大変だが、当の本人が精神的にもっとも辛いものじゃないだろうか。
自分の陰部を見せるだけでなく、汚物をトイレではない場所に出すこと、それを処理してもらう家族への負担、恥ずかしさ。これだけではない、精神的な辛さがほかにもあると思う。
だから、便を出さないというわけにはいかない。
モルヒネの量を増やせなくなるから。
今の私としては、体の辛さより、心の辛さのほうが落ち着いてほしいと思う。
もちろん、それぞれ痛みがあるから、精神的なゆとりが減ることもあるので、結局は両方なのだけど。
少なくとも、自分でトイレに行けるようになれるといいんだけど。
『気遣い』って? [胃がん>終末医療]
春が来た!?
木曜日に、緩和ケアの先生がいらして、輸血とモルヒネを一割ほど(と言っていたかな)増やしてくれた。
最近は、寝ていても痛みがあるみたいなので、もっと増えていくかな。。。
金曜日に、ベットを2モーターから3モーターへ、お風呂に手すりをつける作業が重なって、ちょっとバタバタ。
ベットは、今まで、本人の意向で一番安いのでいい!というので楽匠という2モーター(高さ調整、背と足の角度調節)を使っていたが、動きが減ってきて足、背を別々に角度調節できる3モータのほうが良いということで変更。
それから、ベットの乗り降りが楽になるように、手すりを一部がスイング出来るタイプにして、枕元のほうに設置。
これは結構、良いみたいで楽になった様子。半分ほどまでのタイプの手すりをベットの足元側に着けていたけど、これだと乗り降りの際に足をぐっと胸元まで引き寄せたりしなければならず大変でした。
特にトイレから戻ってきた時は痛みが出ているので、戻るのにも一苦労。夜中などは私たちも休んでいるので、辛かったはず。
変更してからは、ベットに座って横になって足をそのまま布団にいれることが出来るようになったので、スムーズに出入りできるようになった。
ただ、兄はこれ以外にベットの長さにこだわっているようで、夜に母と言い争い。
ベットの長さを延長する場合、現在のタイプだと(?)延長フレームで隙間にその分のマットを追加してくれる。ただ、これだと延長フレームと本体の間に隙間(5,6cm)が出来てしまう。
今は、タオルやシーツで隙間を埋める工夫をしているが、兄はこんな対応じゃなくて隙間のないもっといいベットがあるはずだからそういうのを探したほうがいいという。本人としては、父に最高の環境を用意してあげたい思いがあるんだろうし、そのほうが楽になると思って父には確認せずに替えるほうを優先する。それが『気遣い』だと。
ただ、その『気遣い』が父にとって余計な気遣いになって、いるんじゃないかと母と私は思う。
そして、母と私は、父の意向を重視して父に聞き、なるべくそれに沿った対応を『気遣い』としている。
ただ、その『気遣い』では気遣いになっていないと兄は思っている様子。
家族の中でも、考え方って必ずしも一致できるものではないし、それに本人に対する『優しさ』はそれぞれ違って、『気遣い』の仕方もそれぞれなのかもしれない。
何が本当に父のためなのか、『気遣い』とは何か、考えさせられるなぁ。。
父に対する『優しさ』『気遣い』が、自分たちの自己満足にならないようにだけ気をつけないとなと思うこの頃。
理屈ではないこと [胃がん>終末医療]
朝の挨拶
-マイケル(♂ 写真左)とモモ(♀ 写真右)-
※ちょっと二人のやり取りにコメントを添えてみました。画像をクリックすると見れます♪
もし、自分がトイレに行くにも痛みで難しくなった時、どうするだろうか?
介護している側は、大変なら楽なように簡易トイレを用意してあげようと、優しさから提案するだろう。
でも、考えてみると、皆がいる部屋に置かれる所で、しなければならない。
匂いもあるだろう、家族も汚物を処理するのは、大変だ。
恥ずかしさ、家族への負担を掛けるという心苦しさ。
そして、今はトイレくらいにしかベットから起きだすこともないのに、これをなくしたら本当の寝たきりになってしまう。
私は、父と同じように痛みを堪えてでもトイレに行くかもしれない。
最近は、ちょっとした記憶や考えることが難しい時がある。
たとえば、今何をしようとしているところだったか(歯ブラシ)、フックをどう掛けたらよいのか。
夜歯ブラシをする、お風呂に入る、顔を洗うなどのちょっとした生活サイクルも、痛みや忘れで乱れ始めると、より頭がぼんやりしてしまっている気がする。
歯ブラシをベットに持ってきてやってもらった後、なんとなく目がシャンとして話もすこし出来た気がする。
ちょっとしたことなのかもしれないけれど、辛さはあるけども、人として生きていてほしいと思う。
今は、それが出来るようにサポートするしかない。
介護ってそういった辛さを、本人もそして周りも感じていくものなのかなと思うこの頃です。
【妊婦散歩】 ラッキーな日 [胃がん>終末医療]
11週目もちょっと過ぎてつわりも収まったのか、だいぶ調子が良かったので久々に散歩。
仏の座がたくさん咲いていた。
小さい頃、この小さな花を一つ取って、吹いて笛として遊んだっけ。
後は、微量な蜜をチューチュー吸ってたっけ。
と、その時!突然、青い物体が脇をピューっと飛行するじゃありませんか!
まさかっ!?と思って、カメラを構えたらラッキーなことに戻ってくる!
これは撮らねば!と頑張りました♪
ま、でもまたピューって・・・
連射モード忘れて普通に撮ってしまったから、数枚かぁ・・・
って、思ってたら、超ラッキーなことにまた戻ってきて、今度は近くに停まるじゃありませんか!
で、ゆ~っくり近づいてパシャパシャと。
数枚撮らせてくれたら、「もういいでしょう?」って感じでピューっと飛び去りました。
ちなみに、くちばしが黄色かったり、白っぽいのはメスらしいです(父情報)
※15Mくらいの近さなのに、望遠がないのでボケてますが…
気分良く帰ってると、青鷺の幼鳥が。
※まだ、成鳥のように色がはっきりしてないから、幼鳥だろうと父。
最近、「ギャー」って良く聞こえてたから君かな?
家に帰ってみると、私の部屋の出窓にモモ様が。
お邪魔しました。
帰ってから今日の収穫物を父に見せて、カワセミもいたよ~って見せたら、ほぉって顔してた。
暫くして、緩和ケアの先生がいらっしゃって、モルヒネの点滴を入れ替え、来週の輸血のために採血したりと。
今日は調子がいいみたい。
最近は、一月前のような錯乱はほぼ見られず、だいぶ、体も気持ちも落ち着いたのかな?
少し、安心。
今日、知ったことは、胃の腫瘍部からの出血で貧血があるので、血中の酸素濃度が十分でも、トイレに行く時には呼吸が辛くなっているのかもということ。ただ、それもあまり辛い時は、モルヒネで落ち着くらしい。
また、浣腸で排便を促す時は、血圧の上が70くらいの時はやめたほうがいいらしい。浣腸をすると、ぐっと血圧が下がる時があるらしい。
※先生はだから、看護士さんにって言ってくれてたんだね。
モルヒネを続けるため [胃がん>終末医療]
昨日は、緩和ケアの先生がきた。
今のところ、モルヒネの量は問題なさそうだったけど、お腹にガスが溜まっているようで、太鼓のようにポコポコなった。
2日前にテレミンソフトという下剤をしたが、どうも出なかったみたいだ。本当は週に1,2回はやってほしいとのことだったが、本人に渡しても忘れたり、余裕がないのかなかなかやっていなかった。
それもあって、先生は看護士さんに浣腸をやってもらいましょうと言った。
ただ、それは先日「絶対に嫌!だったら、自分でやる」と父が言っていたので、それを先生に伝え、父にもその時、「看護士さんにやってもらうのが嫌なら、自分でちゃんとやるんだよ!」っていった。
私の言い方に先生は「ざっくり言いますねぇ」って。
先生が帰ってから、浣腸をするように言ったけど、昨日やった!等でなかなかやってくれなかったけど、夜に苦労して自分でやってくれた。そのおかげで、ガス等もだいぶ出たみたい。やっぱり、テレミンソフトがあまり効かなくなってきてたのかな。
モルヒネは腸の動きを鈍らせるらしい。なので、食べなくても腸液とかガスが溜まるので、これを出さないと体にもよくないし、一番困るのは今後、モルヒネの量を増やすのが難しくなるらしい。それだけは、回避しなくてはいけない。
最近は日に日に弱っていっている気がする。
時々、やっぱり辛い。
一ヶ月半ほど前はまだちゃんと話せていた父が、父ではなくなっていく気がする。
でも、向き合わなければ後で後悔する。